ほしかった家族の愛

14/10/25
母親に放置され衰弱していく弟を病院に連れていったときが修羅場だった。

当時私は5歳、弟は2歳だった。
私の父の顔は知らないが、弟の父の顔は覚えてる。
弟が生まれてすぐいなくなった。この時点で母は×2。

母は3日に一度帰ってくるだけ。
帰ってきた日に大量に米を炊いて皿に盛ってまた出かけていく。

私は5歳だったけど幼稚園や保育園に行ってなかった。
入園式には出た記憶はあるような無いような。すごくあやふやになってしまっている。

私は大量に炊かれた米を食べ飢えをしのぎ、弟にもそれを与えてた。
わたしがスプーンですくって口の中に入れる感じ。
弟は上手に咀嚼できなくてむせたりしてた。

次第に母は帰ってこなくなった。

炊かれたご飯も底をつき、私と弟は冷蔵庫のマヨネーズを吸ってた。
私達はひたすら母を待った。
もう部屋は弟の排泄物で悲惨なことになってたけど臭いなんてわからなかった。

ある日、弟が動かなくなった。

私自身も衰弱しきってたけど、弟をベビーカーに乗せて
(この作業だけで倒れそうだった)フラフラになりながら外を徘徊。

そしてようやく辿り着いたのが歯医者さんでした。
歯医者さんにいた患者さんが慌てて私や弟を抱き上げた事は覚えてる。

気がついたら病院にいたよ。弟は生きてた。回復して再会したときはわんわん泣いた。



その後、私達は母方の叔母夫婦に引き取られた。

弟が来月で30、私は32になる。

そして私達を愛して育ててくれた叔母が癌で亡くなった。もう死ぬほど泣いた。

叔母が入院しているときに

「あんたたちの本当の母親は、あんたらが死にかけていたあのとき、
遠い地で元旦那(私の実父)と復縁してよろしくやってたんだ。
小さな子二人を捨てて元旦那と…。私達夫婦には子供ができないのに、
どうしてあんな鬼畜に子供ができるんだと思ったよ。
複雑な経緯があったけど、あんたらが私達のところに来たときは嬉しかった。
生きてた!これから幸せを注いであげられるんだって思ったんだよ」

そう言った数週間後に亡くなった。

もう大事な人がいなくなる恐怖が拭いきれなくて
(あの時母が帰ってこなくなった恐怖、弟が死にかけた恐怖で
完全にトラウマになった)仕事に行けなくなるくらい塞ぎ込んだ。
理解のある職場だったから支えがあって復帰できたけど。

今は父(叔母旦那)、弟、私の3人暮らし。
弟がようやく結婚相手を連れてきた。

私は結婚する相手も予定もございません。


今までにあった修羅場を語れ【その5】