
511: 一回は一回です。。 2010/05/26(水) 18:52:32 ID:Xxb5wpNX0
聴覚障害者で思い出したけど、
なんか「世界まる見え」みたいな、海外のワイドショーとかを取り上げる番組みたいので見た、アメリカの聴覚障害者の子供の話が後味悪かった。
二人とも耳が聞こえない夫婦の間に子供が生まれた。
子供も生まれた時から全く耳が聞こえなかった。でも、診察の結果、手術をすればほぼ100%聴力が快復すると診断された。
病院側は当然手術を勧めるが、全聾(ぜんろう)の両親は猛反発。
「全聾は私たちがもって生まれた才能!この才能と、私たち独自の気高い文化をこの子から取り上げる気!?」
みたいな理屈で、手術を拒んで病院を去った。
なんか、アメリカでは聴覚障害者のコミュニティーというのはかなり強固で、彼らは彼らの独自の文化(手話とかのこと?)に強い誇りを持ってるらしいんだけど。
そりゃー、耳聞こえなくても自分に誇りを持って生きていく姿勢は立派だし、耳が聞こえないからこその、なんか特殊な才能みたいのが将来開花するかもしれんけどさー、
やっぱ、子供の可能性取り上げてやんなよ、と耳の聞こえる自分は思ってしまった。
513: 一回は一回です。。 2010/05/26(水) 19:18:04 ID:29nDcuDo0
>>511
↓こんな感じのかな?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E6%95%99%E8%82%B2#.E4.BA.BA.E5.B7.A5.E5.86.85.E8.80.B3.E3.81.AE.E7.99.BB.E5.A0.B4.E3.81.A8.E6.99.AE.E5.8F.8A
人工内耳の登場と普及。
20世紀の終わり頃から、先進国では人工内耳が普及しはじめた。
これに伴い、幼児期に人工内耳を装用した聴覚障害児の教育法が議論されるようになった。
人工内耳が登場した時期を中心として、多くの国において、ろう者は障害者ではなく言語的少数者であると主張するグループから、人工内耳装用は一種の民族浄化(少数民族としてのろう者の抹殺)であるとの激烈な攻撃が行われたが、バイリンガルろう教育を推進していた北欧においても人工内耳装用児の激増(スウェーデンやデンマークにおいても90%~ほぼ100%と言われる。)を受けて聴覚口話法が見直されるようになっている。
515: 一回は一回です。。 2010/05/26(水) 20:58:26 ID:XXHBP2e80
聾唖の人たちが妙なプライド?持ってるのは日本も同じらしいよ。
以前これも「まる見え」系の番組でヘザー・ホワイトストーンさんの話をやった時、聾唖団体から番組宛に抗議が来たことがあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘザー・ホワイトストーン
ヘザーさんは手話を使わず相手の唇の動きを読んで自分も健聴者と変わらない話し方ができるんだけど、手話を使う聾唖の人から見るとヘザーさんは「かわいそう」なんだって。
口話を使うのは手話を使うよりも何倍もの努力が必要で、手話を覚えればその努力を別の方向に使えてもっと楽が出来たのに。
聾唖者なのに聾唖者の文化も理解出来ないなんて不幸だ、ということらしい。
516: 一回は一回です。。 2010/05/26(水) 21:47:36 ID:T801hULl0
んなもん、人それぞれなのにな。
異文化交流ってのはそういう人たちには理解不能なんだろうか。
518: 一回は一回です。。 2010/05/26(水) 23:23:04 ID:RprIlAyZ0
どんな世界にも理解しあえない奴らはいるんだろうね。
引用元:https://anchorage.5ch.net/test/read.cgi/occult/1270947932/
コメント
コメント一覧
聞こえないのは可哀想だし、疑心暗鬼になってしまうのも理解できるが、ぶっちゃけ迷惑だよな
聾唖学校ではこのままでは手話や口話が疎かになるのではと心配している
◯特権
なんか抜けがけは許さない!自分たちは苦労したのに!みたいに見える
人工内耳がメインになる話があってめちゃくちゃ切なくなった。
あのドラマは基本的に切なくて泣ける話が多いけど、その中でも特に泣けた。
人の気配、扉の開閉音等々も、聞こえなければ泥棒に入られたり
通り魔に狙われても気付けない。今は、聾唖者も車の免許取れるらしいが
救急車等の緊急車両が近づいて来た場合はどうするのか?との問いに
「救急車側が配慮しなさい」つってたな、聾唖協会は
無いとは言わせんぞ。
人間どんだけ恵まれてる立場であれど、結局は無い物ねだりやもん、絶対そういう気持ちあるはずやわ。
語弊があるかもしれんけど、そら恵まれてない立場からしたら、余計にけったくそ悪い!ってなるわな。
あ、いや、持ってはいるけど
子どもが健常なのに自分たちの文化なんちゃらのため聴覚を奪うなら非人道的だとは思うが。
本人が望んだ時点で手術したって良いんだし。
悲しすぎませんかねえ
他者への呪いになっちゃってんな
構図的にはよくある事なんだろうけど
昔、宗教上の理由で輸血を拒んで亡くなった子供がいたな
宗教を子供や他人に強要するなよ
「息子に聴力障害があって私たちは幸運だった」とか母親が笑いながら言ってんの
そりゃあその世界しか知らずに生きて来たらそうなるだろうし障害年金×3人分って言うのも魅力的
けれどそれ以上のデメリットがあると思うんだが
ドキュメンタリー映画「スタートライン」は生まれつき耳が聞こえない障害を持つ映画監督の今村彩子さんが
「聴覚障害を理由に人と交流できにくい自分が嫌だ」と自転車で日本縦断の旅に行く様を記録した作品だが
大阪でかつての同級生に会った瞬間、先の理由で観客は置いてけぼりを喰らい、障碍者がいつもどんな目にあってるか
垣間見る羽目になる
手術をするのが正解とは限らない
だから基本的には親や本人の意思のほうが優先される
手術をしたほうが確実にいい場合は、親や本人の意思より優先される
そういうときは手術を拒むと虐待や犯罪になる
手術で聴覚障害が治った人が、
実際の世界があまりに騒音の酷い事を知り、
自ら命を絶った、てのを読んだ事がある。
聴覚障害手術を受けるのは影響を受けにくい3歳までだそうだ。
そこが全盲や半身不随とはちがう、彼らは健常と同じ世界の住人なのだ。
つまりおなじ土地にすみながらも聾唖は別な種族なんだよ。
子供が耳が聞こえるようになったら別な世界の住人になってしまう、親子の縁が切れてしまうに等しい。それを拒否するのは判る。
例えば黒人夫婦の子に「手術すればこの子は白人になれます」といっても拒否すると思う。
白人である方がはるかに生きやすいのはわかるが、だからといって親の住む黒人のコミュニティとは違う世界に行ってしまうのは嫌だろ。
黒人は差別されながらも自分たちの文化に誇りをもって生活している。白人になりたいわけじゃない。
それはコミュニティー次第だよ
健常者は、障害者は全員同じだとおもいがちだけど
障害の程度はもちろん、同じような障害でもひとりひとり違う
自分に合わないからといって、そのコミュニティーを否定するのはよくない
自分にあったコミュニティーを探せばいい
そりゃ、音が聞こえるようになるかもしれないが、
それで健常者並に聞こえるようになるわけじゃないよ。
せいぜい中の下の難聴になれる程度。
「健常者かそうででないか」という基準なら、健常者にはなれない。
そして健常者は、障害者の度合いなど斟酌しない。
健常者と同じようにできないのなら、その時点でオシマイでしょ。
さらに。
スポーツなどに大きな制約が掛かる。
サッカーや水泳なんかは禁止だ。
さて。
これでもまだ、全聾よりもマシだと言い張るのかね?
自分たちの文化を誇るなら通訳・橋渡しをする人が必要ですし、閉じ籠もりたいだけならその輪から外れた人に文句を言う必要はないと思います。
全聾よりはマシだよ。
小さな音は聞こえないかもしれないけど、車のクラクションやサイレンみたいな大きな音は聞こえるようになる。
小さな声は聞こえないかもしれないけれど、「テロだ!」「火事よ!」みたいな叫び声や悲鳴は聞こえるようになる。
全聾よりは難聴のほうが生存率的にずっとマシだ。
コメントする